わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す。エレミヤ書 33章 8節

罪びとを探し求める愛

アダムとイブのように、人は罪を犯すと恥と罪悪感にかられ、神様の前から姿を消そうとします。神様は、そのような罪を犯した人間を放っておかれるのではなく、「どこにいるのか」(創世記 3章 9節)とお探しになります。 行方不明になった一匹の子羊を探し出し、ご自身の肩に背負い大事に連れ帰った羊飼いのように(ルカによる福音書15章1-7節)、罪びとを探し求めになられるわたしたちの羊飼いであるイエス様は、天から地上に降りられ、この罪びとを探し求める愛を実行されました。主がそのようになさったのは、わたしたちがこれからの人生において多くの実を結ぶためです。ガラテヤの信徒への手紙 5章22-23節で述べられている霊の結ぶ実を、わたしたちが結ぶようにと、ご自分を犠牲にされたのです。それらの実は、愛、喜び、平安、辛抱、親切、善意、誠実、柔和、自制です。神様は、わたしたちをすべての罪から清めるために、ひとり子イエス様の聖なる血までも犠牲にされる程でした。このような驚異的なことをなさった神様は、わたしたちが清められ、許され、良い霊の実を結ぶようにと、いつでもわたしたちを探し求めていらっしゃいます。

 

天のお父様、すべてを許す愛をいつもわたしたちにくださり、ありがとうございます。あなたの精霊がわたしたちが良い実を結ぶことができるよう、助けてくださいますように!

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