その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネ 1:9

世の光として

王の中の王であり、主の中の主である神様は、「近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方」(1テモテ 6:16)です。その神様が、天地創造の初めに「光あれ。」と命じられ、光があり、すべてを包み込んでいた暗闇が解き放たれました (創世記 1:3)。わたしたちの敵(悪魔)は、人間の心の中であれ外の空間であれ、暗闇を好み悪の計画は暗闇の中で実行されます。天から地上に降りられ肉の形になられた、聖なる言葉であるイエス様は、ご自分について「わたしは世の光である。」 (ヨハネ 8:12)。そして、自分に従う者たちもまた「世の光である。」とおっしゃいました (マタイ 5:14)。「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 (マタイ 5:16)。 光には、暗闇を追い払うだけでなく、人の内面を照らし出しすという特徴があります。人として世に現れた光であるイエス様に出会った人びとは、皆、これを経験をしました。例えば、初めてイエス様に出会った時、ペトロは、その足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました(ルカ 5:8)。ナタナエルを見るとすぐに、イエス様は、「まことのイスラエル人」で「偽りがない人間」だとおっしゃいました(ヨハネ1:47)。イエス様が座っていた井戸にやって来た女性は、恥ずかしいと思い隠していた自分の過去について明かすことになりました(ヨハネ 4:1-30)。

 火もまた、光の一つの形です。火は金を精錬するように、人を試し、罪による汚れを完全に取りさらうものです (1ペテロ 1:7) 。「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。」(ヘブライ人への手紙 12:29)この「焼き尽くす火」である神様は、ペンテコステの日(イエス様が復活されてちょうど五十日目)に、使徒たちに聖霊をお遣わしになりました。「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 」(使徒言行録 2:3) 光のうちに生き、世の光となりましょう。そして聖なる火による清めを受けましょう。

 

天のお父様、わたしが世の光となれますように。聖霊様がわたしの心と人生を常に照らし出してくださいますように。アーメン。

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