主を喜んで迎え入れる人
限りない愛である神様は、人間の友情と交流を求めずにはいられません。主は、ご自身を暖かく迎え入れる人の家、その人生の中に入ろうと、いつも戸口に立たれ、戸を叩かれています。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録 3:20)。ザアカイが大喜びで走り寄って、暖かく主を自分の家に迎え入れた時、イエスはザアカイと彼の家族に回心と大いなる祝福をお与えになりました。「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。』」 (ルカ 19:9)。シモンとアンドレがイエスを彼らの家に喜んで迎え入れた時、シモンの姑は癒されました。「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。」(マルコ1:31)。また、マルタとメアリが、主を家に招き入れた時、既に息を引き取っていた彼女たちの兄ラザロは生き返ったのです。「こう言ってから、イエスは、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。」(ヨハネ 11:43)。彼らのように、わたしたちも 主の声を聞くことができるよう、常に目を覚ましていましょう。そして主を人生の中に招き入れ、共に食事をするいう名誉と特権を享受しましょう。
天のお父様、ご自分の息子を、共に食事をするためにお遣わしくださりありがとうございます。わたしたちが、扉を開き、主を迎え入れることができるように、常にこのことを思い起こさせてください。アーメン。
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