私に罪のないことが神の前に認められた。ダニエル書 6:22

熟知

監視カメラはたくさんありますが、周囲で起こっていることすべてを監視できるわけではありません。神様の目は、いつも人間の上にあり、自分に向い、祈り訴えている人間がいないかと探しています。「神は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。」 (詩編53:2)。預言者ダニエルは、無実でしたが罪に問われ、ライオンの穴に投げ込まれてしまいました。その時、天に向かって祈り、神様の使い(天使)の援助を受け、助かりました。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。」(ダニエル書6:22)。詩編の編集者ダニエルも、神様がどれ程わたしたちの事を熟知しているかについて、何度も歌っています。「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。」(詩編139: 1-6)。神様がわたしたちのすべてを熟知されている、ということを知ることで、わたしたちは信仰が強まり、神様の前に正しく生きることの意味を得ます。わたしたちをつねに監視され、お守りくださる神様がいらっしゃることに感謝しましょう。 

 

天のお父様、あなたの知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。聖霊様が、この神秘をわたしにいつも思い起こさせてくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。

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