わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。マタイ18:33

求められる慈悲

アムネスティー・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国連など、国家と市民国家は協力し、国家間・人種間の平和を推奨していますが、国家や市民レベルのみでなく、個々の家庭、人間関係においても平和、とりわけ、慈悲の大切さを推奨していかなくてはなりません。ペテロは、許しの必要性について主に次のように質問しました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイ18:21-22)。イエス様は、不埒な家来のたとえ話を用いて、許しの大切さについて語っています。人を許さない家来の態度は、主人の怒りを招き、借りた借金すべてを返すまで、彼は獄吏(ごくり)に引き渡されました。(マタイ18:34)。人を許すということは、天の国からの命令であって、提案ではありません。もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。(マタイ6:15)。逃走した奴隷のオネシモを許すように訴える、パウロのピレモンへの手紙は、強くわたしたち読者の琴線に触れます。パウロは書いています、「だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。(ピレモン17-20)。 許しを日々の生活の中で、家庭で、友人関係において実践しましょう。そして、限りない慈悲の愛を、わたしたちにくださる神様から祝福を受けましょう。

 

天のお父様、わたしを制限なく愛してくださりありがとうございます。聖霊様が人に慈悲を施すこと、許すことの大切さを、つねにわたしに思い起こさせてくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。

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