執り成しの祈り
助けを求めている人びとを、自分の力では助けられない時、聖書は、わたしたちに執り成しの祈りをするようにと求めています。他の人の必要のために祈ること、それが執り成しの祈りですが、これについては、尋ねてきた旅人のために、深夜友人の家に行き、ドアを叩き続け、パンをくれるよう求めた男のたとえ話があります。「私はあなたたちに言う、彼は〔自分が〕その人の友人であるからといって、起きてその人に〔パンを〕やるようなことはないとしても、その人が〔執拗に願えば、〕その執拗さのゆえに、起きてその人に必要なものをやるだろう。」 (ルカ 11:8)。イスラエルの偉大な指導者であるモーセは、執り成しの祈りによって神様から願いを聞き入れられました。「『どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。』主は言われた。『あなたの言葉のゆえに、わたしは赦そう。』」(民数記 14:19-20)。信仰の父であるアブラハムは、6回もソドムのために執り成しの祈りをしました。「アブラハムは言った。『主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、〔義しい者は〕十人しかいないかもしれません。』主は言われた。『その十人のためにわたしは滅ぼさない。』主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。」(創世記 18: 32-33)。パウロもまた、イエス様が私たちにしてくださる執り成しの祈りについて語り、執り成しの祈りの大切さについて説いています。「キリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」 (ローマ 8:34)。執り成しの祈りを、誰のところへ行きするべきかを知り、扉を叩き続けましょう。
天のお父様、誠実な執り成しの祈りを聞き入ってくださり、ありがとうございます。聖霊様が、わたしが執り成しの祈りをするときには、お支えくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。
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