驚くべき信仰
イエス様ご自身が驚かれるということは、人間のわたしたちにとって、最も驚くべきことです。主が驚かれたのは、病気により弱り切っていた部下を思い、どうにかして部下を癒してもらおうと、イエス様に依頼した、ローマ人の百人隊長の信仰です。ローマ人の隊長は言いました、「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」(ルカ7:6-7)。驚くべきことは、百人隊長は、み言葉の持つ癒しの力を確信していたということです。「と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」(ルカ7:8)。 イザヤ書で述べられているように、み言葉は必ず目的を達成します。「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ書 55:10-11)。隊長の、人間としていらっしゃったみ言葉である、イエス様への信仰は、イエス様に自分の家に来て目の前で奇跡を行うよう求めることはしませんでした。また、自らイエス様のみ前に歩み出ようともしませんでした。 なぜなら、そのローマ人の隊長の信仰は、目に見える現象に依存してはいなかったからです。「信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である。」(ヘブライ人へ11:1)。部下の病を癒す奇跡をもたらした、この隊長の謙虚な信仰に倣いましょう。
天のお父様、わたしのために信仰のモデルを提示してくださりありがとうございます。聖霊様が、わたしの信仰を灯火をお支えくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。
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