イスラエルよ、どうして、あなたを捨てることができようか。どうしてあなたを渡すことができようか。 ホセア書 11:8

無限の愛

苦痛や貧困、喪失、うつ病などを抱えるわたしたちは、しばしば創造主である神様の愛を疑うことがあります。創造主の口から万物が生まれた時、人間は神様のみ手の中で形づくられました。「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」(エレミヤ書 18:6)。また、わたしたち一人ひとりの成長のために、つねに神様は、わたしたちをみ手で形づくられます。このため、しばしば痛みと不快がわたしたちを襲いますが、わたしたちはより善い者にと改正されます。「それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。」(ホセア書 11:3)。預言者ホセアが書いているように、たとえ、わたしたちが神様を見捨てることがあっても、神様は決してわたしたちをお見捨てになることはありません。「わたしはあわれみの綱、すなわち愛のひもで彼らを導いた。わたしは彼らに対しては、あごから、くびきをはずす者のようになり、かがんで彼らに食物を与えた。」 (ホセア書 11:4)。わたしたちが、この事実を信じ、宣言し、神様の無限の愛に感謝する時、わたしたちの心は喜びと平和で満たされます。神様は、毎日わたしたちを祝福されることをお望みです。「あなたに答え、あなたを顧みる者はわたしである。わたしは緑のいとすぎのようだ。あなたはわたしから実を得る。」(ホセア書 14:8)。

 

天のお父様、わたしは不相応なものですが、愛してくださりありがとうございます。聖霊様が、あなたの愛をわたしに何時も思い起こさせてくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。  

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