求められる行為
わたしたちは皆、欲し、計画を立て、事がうまく進まない時は動揺します。聖書には、求めること、捜すこと、そして扉を叩くこと、といった必要とされる行為を行い、奇跡を体験した人びとの経験が多く記録されています。預言者サムエルの母、ハンナは、苦悩の中で神様に求めました、「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますように」 (サムエル記上 1:11)。すると、天の扉は開かれ、ハンナの信仰にかなった祝福が神様から与えられました。「主は彼女を心に留められた。日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして『私がこの子を主に願ったから。』と言って、その名をサムエルと呼んだ。」(サムエル記上 1:19-20)。わたしたちが神様に求めるという行為は、祝福を受ける上で欠かすことはできません。イエス様はおっしゃいました。「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」 (マタイ 7:8)。 盲目であったバルティマイが、泣き叫び神様の慈しみを求めると、イエス様は、何を求めているのか具体的に述べるようにと問い詰めました。「イエスは言われた。『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです。』するとイエスは、彼に言われた。『さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』」(マルコ 10:51-52)。自分が何を求めているか、そして、それをどのように、誰に求めたら良いのかを熟知し、自分の本当の必要に適った祝福を得ましょう。
天のお父様、あなたから祝福を得るために、わたしがまず求めることを条件としてくださりありがとうございます。聖霊様が、必要な言葉をわたしにお与えくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。
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