もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。ヨハネ15:10

愛の新定義

「愛は服従である」と、主に愛された弟子のヨハネは、愛の定義の中で最も驚くべきものを、今日のみ言葉で述べています。人を愛された神様は、死に人を追いやる危険のあった不服従を警告し、次のようにアダムに言いました。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』(創世記 2:16-17)。最初の人間家族は、この神様の最大の愛に満足せず、「創造主である神様の特権である知識を、自分も得ることができる」といった、悪魔の誘惑に負けてしまいました。神様の愛に、人が応えることができなかったことを悲しみ、天の扉は何世紀もの間、閉じられました。しかし、神様は、人をお見捨てにはなりませんでした。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ 3:16)。天の父の愛を地上で体現し、死に至るまで神様の意に従順であることは、イエス様にとっても不可能に近いことでした。 「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」 (フィリピ2:8)。すべての人間の罪を、ご自分で背負うといった行為に耐えられず、イエス様は3度も涙を流され、天に向かって叫ばれました。しかし、主は最後まで神様のご計画を遂行されました。「この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた」 (ヨハネ 13:1)。服従を前提条件とする、この愛の神秘を理解しましょう。「 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです」(ヨハネ 15:10)。愛は服従である、という主の愛の新定義に倣い、神様を愛しましょう。

 

天のお父様、ご自分のひとりごを通して、愛についてご教示くださりありがとうございます。聖霊様が、愛である服従を、わたしが実行できますようお支えくださいますように。愛に満ちた主イエスのみ名において、アーメン。

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