感嘆、賛美すること
創造主は被造物をご覧になり、その美しさに驚かれました。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記 1:31)。イエス様も地上にいらっしゃった際に、美しさと壮麗さを備えた被造物のすばらしさについて、次のようにおっしゃいました。「 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ 6:26-30) 神様のお造りになられたものを観察するとき、わたしたちはそれらから人生の教訓を得ることができます。創造の神秘について、詩人たちは驚き謳い、哲学者たちも礼賛しています。私生活の心配に煩わされながらも、時間を設け、被造物の美しさに目を止め主を賛美しましょう。そうすることで、測り知れない程多くの教訓が得られます。神様のお造りになられたものの神秘を座って眺める行為は、賛美を伴う祈りに他なりません。すべての人、すべての物に備わる美しさを心をとめることができる、慎ましさを身につけましょう。
天のお父様、被造物である万物の美しさを学び、感謝することができますように。聖霊様が、わたしたちがそれらに感嘆し創造主を賛美することをお喜びになりますように。主イエスのみ名において、アーメン。
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