神様と一緒にいるに値する存在
原罪とその結果としてのエデンの園からの追放について私たちは皆知っています。しかし、アダムとイブが神に背いて堕落する以前にどのような状態であったのかついて考えることはあまりまりません。堕落以前のアダムとイブは、霊において貧しく謙遜でした。だから、神様と一緒にいることができました。神様から自由になり独立し、自分たちですべてを知りたいという誘惑が、彼らを神様と神の国に対する敵としたのです。あらゆる形の誇りは人を霊における貧しさからかけ離れた存在としてしまいます。それらが自分の美しさや肌の色、人種、知識、富や才能についてであっても、霊的な現象の理解についてでもです。たとえ才能に恵まれている人でも、決して霊的な貧しさを失わず、神の国を勝ち取ることができるようにイエス様のみ言葉をこころに留めましょう。「霊において貧しい人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。」(マタイ 5:3)神の国に適した存在、神様と一緒にいるに値する存在として私たちがとどまれるよう、神様が私たちに霊において貧しく慎ましくあるという性質をくださいますように。
天のお父様、神の国の市民に与えられている態度を私にも持つようにと諭してくださりありがとうございます。聖霊様が私が霊において貧しくいられるようお支えくださいますように。主イエスのもっとも偉大なみ名によって、アーメン。