寛容な視点
わたしたちは皆同じものを見ても、自分の持っている視点によって現実がそれぞれ異なった形で映ります。限定された視点を持っていることは悪いことではないのですが、自分のこれまでの判別し差別する頑固な視点から外へ踏み出す貴重な機会を与えられたのであれば、迷わず広く新しい視点を勝ち取るべきです。差別はそれが性別や肌の色、人種や宗教、才能や技能といった、何に対するものであれ正当化されるべきではありません。それは嫌悪という罪に至るものだからです。神様の子であるわたしたちは、差異の存在にもっと寛容であるべきで、差異を愛と配慮のこころで受け入れなくてはなりません。ちょうど神様が使徒ペトロの過ちを正されたようにです。「すると、声が二度目にかかってきた、『ペトロよ、神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」神様が望まれるように他者を見ることができる寛容な視点を持ち、周りの人びとと信愛の関係の内に生きていきましょう。
天のお父様、わたしの視点の境界線を拡大してくださり感謝いたします。聖霊様があなたの視点でものを見ることができるよう、わたしの目を開いてくださいますように。イエス様のもっとも愛なるお名前によって、アーメン。