弟は『いやです』と答えましたが、あとで悪かったと思い直し、農場へ出かけました。マタイ 21:30

内省、誤りの認識、悔い改め

罪人に与えられる特権である神様の慈しみを理解するとき、わたしたちは驚きます。もっとも優れた語り手である主は、この神秘について、たとえ話を用いて観衆に説明しています。最初は従うことを拒否した息子は、父親の前から去ると、内省し、自分の過ちに気づき、悔い改め、父親に依頼されたことを達成します。「次に、弟のほうに、『おまえも行きなさい』と言いました。弟は『いやです』と答えましたが、あとで悪かったと思い直し、農場へ出かけました」(マタイ 21:30)。しかし、「行きます」と容易に嘘をつくことができた兄の方は、父親の必要など気にかけることなく、後悔することも悔い改めることもありませんでした。(このたとえ話の中の弟のように、徴税人や売春婦は、洗礼者ヨハネやイエス様の下へ行き自らの誤りに気づき悔い改めました。)イエス様が徴税人や売春婦を賞賛したことは、独善的な人びとを怒らせたに違いありません。それらの独善的な人びとは、神の国は自分たちの特権だと考えていましたから、それはそれは動揺しました。慈しみ深い神様が、わたしたちに自分の罪を認めるという賜物をくださり、許しの恵みと祝福を降り注いでくださいますように。

 

天のお父様、罪人であるわたしをお許しくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしが内省し、過ちに気づき悔い改めることができるように、そしてあなたの無限の慈しみを享受できるようにお導きくださいますように。イエス様のもっとも慈しみ深いお名前において祈ります、アーメン。