主のくびきを受けなさい
わたしたちの生きる時代は契約の時代です。すべてが一定の規約、規則、制約を伴い与えられ、これらはわたしたちを一時的、又は永続的に供給者に釘付けし、その支配下に置きます。部屋を借りる時、駐車場を借りる時、水道、ガス、電気の供給を申請する時、電話サービスやインターネット接続を新設するとき、わたしたちは途方もない狡猾な規約に合意しなくてはならず、それによって利用したいシステムやサービスの奴隷となります。すべてがこの様です。教育機関を選ぶとき、仕事の契約をする時、銀行口座を開設するとき、すべてに契約が伴い、すべてがくびきです。そして、すべてのくびきは拘束と痛み、苦しみを伴います。さらに、すべてのくびきは、わたしたちを奴隷とするのですが、わたしたちは、世間一般での決まり事ですから、それらをすべて呑まなくてはなりません。このようにして、ありとあらゆるくびきに縛られているわたしたちに、イエス様は、ご自分のくびきを受けるようにとおっしゃいます。それは、新しいくびきです。「受けなさい、わたしのくびきを。なりなさい、わたしの弟子に。わたしのくびきは負いやすく、わたしは柔和で謙遜だから、あなたの心は安らかになります。」(マタイ 11:29)主が与えてくださるのは、人間の間の契約や合意規約ではなく、神の人間に対する約束・契約(covenant)です。主がお与えくださるくびきは、わたしたちの苦しみもがく心を安らかにし、静けさと穏やかさで満たしてくれます。わたしたちは、主の人生と、その愛と許しについての教えを、平安な人生を堪能するための新しい重荷として背負わなくてはなりません。主のくびきを受け取る勇気を、神様がお与えくださいますように。そして主の弟子となり、契約にある通り、わたしたちの魂が渇望し、また受けるに値する、休息を頂くことができますように。
天のお父様、み子のくびきをお与えくださり感謝いたします。それは、世のくびきによって生じる痛みと苦しみから、わたしを解放してくれるものです。聖霊様が、み子のくびきを信仰をもって受け取り、主がお約束くださる休息を信頼し望むことができるように、わたしを導いて下さいますように。イエス様のもっとも穏やかなお名前において、アーメン。