キリストにある全きものとして
庭師が植物を育て成長させる過程を観察すると、人をキリストにある成人として育て上げるために必要な方法や、教育者の苦労や痛みについて理解できます。パウロは、その書簡の中で、人をキリストにある全きものとして養育するための努力について述べています。「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」(コロサイ 1:28)パウロがキリストにある成人として人を教育する実践の中で用いているのは、最初にキリストを宣べ伝え、戒め、そして教え育てることです。この教育の過程を、パウロは別の書簡では、産みの痛みに喩えています。「私の子供たちよ、私は、キリストがあなたがたのうちに形造られるまで、再びあなたがたを産む苦しみを味わうのだ。」(ガラテヤ 4:19)わたしたちは、主のしもべたちが、神様の子どもたちを成人に育てあげるという重大な任務を背負い、主のみこころに叶う良い成果をあげていることを神様に感謝し、み名を讃えましょう。
天のお父様、ご自分のしもべを通して、わたしがキリストにおいて全きものとなれるよう、養育してくださり感謝いたします。わたしが、適切な指導と戒めを受けることができるよう、聖霊様が導いてくださいますように。イエス様のもっとも全きお名前において、アーメン。