主を待ち望め。雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。詩篇 27:14

主を待ち望む

日の出の美しさや夕日の黄金の華やかさを見て感動するには、もう一日待たなくてはなりません。安息日に聖人たちと集い親交するには一週間待たなくてはなりません。父親は母親と一緒に子どもが生まれるのを40週間程待たなくてはなりません。愛する家族の誕生日を祝うのにも、また一年待たなくてはなりません。待つという行為は、その出来事が起こる瞬間を貴重なものとするために設けられた決まり事です。霊的生活においても、待つという行為は大切な役割を果たします。待っている本人は、待ちくたびれて我慢がならないかもしれません。しかし、その待つ人に、神様はご自分のご計画にしたがって、定められた時に、偉大なみ手から啓示をお与えになります。この体験こそ、待っている人にとっては驚くべき体験です。ダビデは羊飼いから王になりました。その彼が、わたしたちに、信仰を手放すことなく永遠のお約束が実行されるのに期待しながら熱心に待つようにと諭して言います。「主を待ち望め。雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。」(詩篇 27:14)ノアやアブラハム、ヤコブ、ジョセフ、モーセ、そして主の預言者は皆、神様のお約束が実現するまで待たなくてはなりませんでした。ダビデの言葉は空説教ではなく、自分の経験に基づいた真実の証しです。「私は、ただひたすら主の助けを待ち望みました。すると、その願いは聞かれたのです。」(詩篇 40:1)わたしたちは、この詩編の作曲者の言葉に勇気づけられ、主を喜びとともに待ち望みましょう。主は決してご自分に望みをおく者たちを裏切ったりはなさいません。

 

天のお父様、待つということに感謝いたします。聖霊様がわたしの霊とその信仰を強めて下さいますように。イエス様のもっとも偉大なお名前において、アーメン。