善い果実を育てるように
わたしたちが享受する果実の多くについて、それらを努力して育てた生産者が誰か、わたしたちは知りません。果実を生み出すという仕事は、今度はわたしたちの番です。自分たちが望む果実の種を集め植えることで、次の世代が、その最良の実を味わうことができるからです。種を蒔き水をあげ、肥料をやって育て、収穫の時を待ち望むことは、手間がかかり努力を要することです。パウロは、もし、わたしたちが住む地域に、聖霊の賜物が与えられていないのであれば、そのもっともすぐれた果実をそこに植え生産することは、神様がわたしたちにお与えになる責任だと言います。聖霊の賜物とは、「愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ 5:22-23)きちんと植えられた種は、自然の原理に従い必ず育ちます。ですから、パウロは使命を受け、さっそく仕事をするようにと、わたしたちを説得しています。「正しい行いをすることに疲れ果ててしまわないようにしましょう。失望せず、あきらめずにいれば、やがて祝福を刈り取る日が来るからです。ですから、機会あるたびに、だれに対しても、特に信仰を持つ人たちには親切にしましょう。」(ガラテヤ 6:9-10)わたしたちも最良の種を植え、周囲の人たちがその実を味わい、そしてその種を今度は彼らが植えることができるよう、ふんだんに植えましょう。この地上が良い実であふれますように。
天のお父様、善い果実を育てるようにと導いて下さり感謝いたします。信仰を持つ者たちの家の必要に答えることができるよう、聖霊様が、わたしたちの植えた種を育て、数を増やしてくださいますように。イエス様のもっとも貴いお名前において、アーメン。