肉なる人はすべて草のよう。 その栄華はすべて草の花のよう。 草は枯れ、花は散る。 だが、主の言葉はいつの世までも留まる。Iペテロ 1:24-25

肉なる人はすべて草のよう

肉なる人はすべて草のよう。

その栄華はすべて草の花のよう。

草は枯れ、花は散る。

だが、主の言葉はいつの世までも留まる (イザヤ書 40:6-8)

これは、あなたがたに福音としてもたらされた言葉のことである。

ペテロの手紙 第一 1:24-25

 

肉なる人はすべて草のよう。

 

詩編の作曲者が書き残しているように、私たち人間は天使たちよりも少し劣ったものです。(詩編 8:5; ヘブライ人へ  2:7)

天使が霊的生き物であるのに対し、神のお姿に似せて造られた人間は、肉体があるために少し低く造られています。

 

神は人間を塵から、ご自分のお姿に似せ形づけ、息を吹き込まれました。塵から生まれたものは、すべて塵に戻ります。ですから、「肉なる人は、すべて草のようだ(all flesh is like grass)」と言われます。このことを、人は忘れてはなりません。

 

「人の栄華はすべて草の花のよう。(all of man’s glory like the flower in the grass. )」

私たちは草だと言われています。花が美しく咲き誇る時期もあります。周りの人の目を魅了し、喜ばせ、輝き、咲き誇り、芳香を放ち、良い気持ちにさせ、美しい景色を描き出します。

しかし、「草は枯れ、花は散る(The grass withers, and its flower falls;)」ことを忘れてはなりません。この言葉の通り、これまで、多くの優れた皇帝、学者、科学者、哲学者、そして聖人がこの世に生まれましたが、彼らは皆、もう生きてはいません。

 

この世に居続けることはできません。ペテロが手紙に書いているように、「地上の家であるわたしのこのテント、(この肉体)はこわれる」のです。(第二コリント5:1)何時こわれるのかは、私にはわかりません。それは歳をとること、疲れ、衰弱することを意味します。私たちの体力が尽き果てる時は、かならずやって来ます。

 

無論、イエス様はペテロにおっしゃいました。「あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行く時がやって来る。その時、あなたは自分の手をのばし、彼らにそうさせる。」(ヨハネ 21:18)私たちは自分の限界を心に留めなくてはなりません。

 

しかし、永遠でいつの世までも留まるものが、主の言葉です。

イザヤがすでに預言しています。「主の言葉はいつの世までも留まる」 (イザヤ書 40:6-8) これがまさに、あなたに告げられた福音の言葉です。

 

私たちは、新しい福音を告げているのではありません。ペテロはこのことを私たちに思い起こさせてくれます。この福音は有史以前の太古からのものです。昨日の説教でも説明したように、神の言葉は、あなたに命を与えてくれる唯一のものです。その命は、完全な命で、この世の命を超えたもので、あなたをお造りになられた主との永遠の交わり、天国での晩餐です。その晩餐には、イエス様も聖霊様も同席されます。

 

これこそが、告げられるべき、私たちが信じるべき、宣言すべき、そして待ち望むべき福音なのです。

 

祈りましょう。

 

天のお父様、私たちを創造してくださり感謝いたします。あなたが陶器師で、私たちは粘土です。あなたが私たちをあるべき姿に設計なさいました。私たちが今日、このようにあるのは、あなたの永遠の知恵によるものです。花が咲いた季節もありました。花がまったく咲かない時期もありました。何も達成できず、朽ちてしまったように思える今日。それでも、草花に命を与える雨や雪のように、天から届くあなたのみ言葉に依り頼みます。聖霊様が、私たちがこの福音を喜び受け取ることができるように働いてくださいますように。イエス様のもっとも偉大なみ名において、アーメン。