あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものである。これこそ、あなたがたのなすべき合理的で基本的な礼拝です。ローマ人への手紙 12:1

合理的で基本的な礼拝

ローマ人への手紙 12:1 

だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものである。これこそ、あなたがたのなすべき合理的で基本的な礼拝です.

 

合理的で基本的な礼拝

 

「兄弟たちよ、」

 

パウロはあなたを「兄弟」と呼んでいます。あなたにとって兄弟・姉妹とは誰でしょうか。父親を同じくする人のことです。パウロがこのように呼ぶのは、神が唯一の父であり、神のみをAbba (父)」と呼ぶにふさわしいお方だと信じているからです。

 

だから、パウロは私たちをそのように呼びます。そして、自分の兄弟と姉妹を愛するからこそ、「これまであなたたちに説いてきた神の慈悲ゆえに、あなたたちに勧める」とパウロは言います。

 

パウロの言葉の通りです。神から頂く憐れみについて、これまで頂いた膨大な数の祝福について、今日も神がくださる祝福について、私たちは毎日、思い起こさなくてはなりません。

 

そして、パウロは続けます。「あなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。」私たちは、いつも、主の前に歩み出てると、神に色々なことをしてくださいと求めます。でも、あなたは主に何を捧げていますか?

 

パウロは、「あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。」と言います。

 

第一コリント 3:16-17で、パウロは、「あなた達の体は、聖霊の宿る神の神殿です。」と述べています。

 

神は大聖堂に住んだり、いかなる宗派であれ、それらが所有する建物の中に住んだりはなさいません。神は人間の体の中に住むことを喜ばれます。人間の体こそが、主が一番好まれる住処です。

 

そして、もしあなたが自分の体を、生きた聖なる犠牲として神に捧げるのであれば、それこそ、神のお気に入るものです。これこそが、神があなたに求めていることです。神のお気に入る、聖なる捧げ物です。

 

実にその通りです。神がお喜びになるのは、この捧げ物のみです。10分の1(tithe)や、高額な寄付、大勢の教会員によって構成された教会、慈善事業団体、広報活動、ネットワーク、その他の教会の活動、そういったものではありません。そのような活動は、大抵の場合、あなたが自分の名を世に高めるための手段となります。それを主はお喜びになりません。

 

あなたの体を犠牲として、聖なる生贄として捧げること。これこそが、あなたが神に捧げることができる合理的な捧げ物です。まさに合理に適っています。そして、基本的です。基本的というのは、礼拝の必要不可欠の要素であることをいいます。

 

天のお父様、聖人パウロを通して、自分たちの体を生きた聖なる生贄として捧げることについて、教えてくださり感謝いたします。聖霊様が、私たちに、自分から取り除くべき要素を示してくださいますように。そして、自分の体を、あなたが好まれる聖なる捧げ物として、捧げることができますように。イエス様のもっとも聖なるお名前において、アーメン。